#041 川上 剛右『歓喜の先へ。』

2018年12月23日。運命の決戦の日。緑の勇士たちが、ついに大仕事をやってのけた。パロマ瑞穂ラグビー場で行われた豊田自動織機シャトルズとの入替戦。三菱重工相模原ダイナボアーズは31−7で勝利し、6年連続入替戦敗退という苦難の歴史にピリオドを打った。実に12シーズンぶりとなるトップリーグ昇格を成し遂げた。

加入2年目の川上剛右は、その日、23番のジャージーを着てベンチでキックオフを迎えた。井口剛志が肩のケガから復帰し、FBを務めていた中濱寛造がWTBに回ったことで、いわばはじき出された格好だった。それまではWTBでスタメン出場を続けていただけに、「複雑な気持ちはありました」と正直な心境を明かす。一方で、試合に臨むにあたって、わだかまりや迷いは一切なかった。

「監督やBKコーチの栄次さん(安藤)から話をされたのですが、井口さんのケガがいつ再発するかわからない状況で、本来ならFBもできる選手を入れるところなのに、WTBしかできない自分をリザーブに置いてもらえた。もちろん悔しさはありましたが、信頼されているのを感じられてうれしかった。その信頼に絶対に応えようと、ポジティブな気持ちで試合を迎えることができました」

出番は予想より大幅に早くやってきた。前半19分、井口が肩を負傷し退場。もっとも、コーチングスタッフから「井口がどこまで持つかわからない。準備はしておくように」と伝えられていたため、焦りはなかった。万全の状態でピッチに立つや、エネルギッシュなプレーを連発してダイナボアーズに勢いと躍動感をもたらした。

「『ちょっと早いな』とは思いましたけど(笑)、準備はしっかりできていたし、チームもノッていたので、いいタイミングで入れたと思います」

ダイナボアーズはアクシデントにもまるで動じることなく、プラン通り、むしろプラン以上の完璧に近い内容で、試合を優勢に進めた。トップチャレンジリーグで悪戦苦闘していた頃の心もとない姿は、もはやそこになかった。シーズンのもっとも重要なゲームで、今季一番といえるパフォーマンスを発揮できたのは、好不調の波に苦しみながらも、一年を通してクラブ全員で確かなステップを積み重ねてきたことの証だった。

「入替戦に至るまでのプロセスが本当によくて、いい準備ができたという感覚がありました。セカンドステージで近鉄に勝ったことで、自分たちのストラクチャーを信じて遂行すれば勝てるということが実感できて、さらに結束が強くなった。次の栗田戦はあまり出来がよくなかったですけど、そこで一喜一憂せず、逆にいい緊張感を持って入替戦に向かうことができたのもよかった」

フルタイムの瞬間。言いようもない喜びが体の奥から沸き起こる一方で、感涙にむせぶ先輩たちやサポーターたちの姿を目の当たりにして、川上には感じるものがあった。

「藤田さん(幸仁/PR)はじめ、これまで重工でずっとやってこられた方々の思いを考えれば、2年目の僕が簡単に泣けるようなものではないな、と。試合に出ていないメンバーもみんな泣いていて、そうした方々がずっと戦ってきた過程があったからこそ昇格できたんだということを、身にしみて実感しました。だからうれしさよりも、先輩たちが築き上げてきたものに対するリスペクトの気持ちのほうが大きかった」

もちろんこれがゴールではないのもわかっている。トップリーグで戦い続けることは、トップリーグに昇格する以上に険しい道のりだ。対峙する相手は、これまでよりさらに力のあるチームばかり。現状を維持するだけでは、そこにとどまることすらままならない。

もっともそれは、川上が歓迎する環境でもある。幼少時に楕円球を追い始めた頃からラグビー選手にあこがれ、物心ついてからは常に将来はトップレベルでプレーするという強い思いを抱いてきた。今、ようやくその夢が実現しようとしている。

高鍋高校で花園ベスト8に進出し、明治大学ではかの名HO藤田剛と同期、惜しくも早逝した父の影響で、3歳の時に高鍋ラグビースクールに通い始めた。中学卒業後は地元宮崎を離れ、全国随一の強豪である東福岡高校に進学。入学直後の春からSOとして公式戦で先発を務め、冬の花園では1年生でただひとりメンバー入りを果たし、当時3年生の布巻峻介や2年生の藤田慶和らとともに優勝の歓喜を味わった。

しかしその後の2年間は決して順風満帆ではなかった。2年時はニュージーランドに短期留学した際に腰を骨折し、秋の国体で復帰し優勝を遂げたものの、ふたたび同じ箇所を骨折。花園のピッチには立つことができなかった。3年時の花園では準々決勝の茗溪学園戦の直前に、ノロウイルスを発症。離脱を余儀なくされ、ホテルのベッドで仲間たちの敗戦を知った。

反面、「そうした苦い経験があったからこそ、今がんばれるという部分もある」と川上本人は言う。

「ヒガシは高校時代で燃え尽きちゃう人がけっこういるのですが、僕らの代はずっと谷間世代と言われてきて、花園もベスト8で負けている。だから今もモチベーションを高く持てるという同期が多いと思います」

見事に隆起した筋肉の鎧は、その象徴だろう。高校3年の夏からウエートトレーニングにのめり込み、体重は大学4年間で75キロから92キロにまで増えた。熱心なジム通いは今も続いており、173センチの身長ながらベンチプレスはマックス180キロ、スクワットは230キロを持ち上げる。

「以前はできるだけ体を当てず、かわしたりパスしたりするタイプだったのですが、それではこの先やっていけないと思っていました。ちょうどその頃、同期にウエートがすごく好きな奴がいて、一緒にやるようになったら、思った以上のペースで強くなっていって。それでおもしろくなったんです。プレースタイルが完全に変わってしまって、少しもったいないなとも思うんですけど(笑)、パワーがついたことで、プレーしていても余裕を持てるようになりました」

社会人1年目の昨季は、当初なかなか出場機会を得られなかったが、トップチャレンジリーグセカンドステージの初戦でリザーブから初出場を果たすや、以降入替戦まで3試合連続でスタメンに名を連ねた。実際に戦ってみると、思った以上に自分のプレーが通用するのがわかったし、何より高いレベルのゲームがいかに楽しく充実したものであるかを実感できた。来季はいよいよ、念願だったトップリーグの舞台に立つことになる。

「昨年6月に脱臼した肩も予想より経過がよく、手術せずにいけることになってホッとしました。トップリーグ、本当に楽しみです。でもそこで結果を出さないと、ただ上がっただけで終わってしまうので。活躍できるよう、今からしっかり準備していきます」

ひとつのゴールは、新たなスタートでもある。あの歓喜からひと月。川上剛右の目は、すでに次のシーズンに向けられている。

Published: 2019.02.28
(取材・文:直江光信)