Mitsubishi
Heavy
Industries
PROJECT STORY
海洋調査船

海に囲まれた日本だからこそ
高度な海洋資源調査船が必要だ。

INTRODUCTION

海洋資源調査船は特殊な船だ。海底地形を調べる音響装置や海底下の地殻からサンプルを採取する掘削装置などの専門的な機器を搭載するだけでなく、海洋上の一カ所に留まって調査をするための自動船位保持システムや機動力と静音性を両立させるための特別な推進システムなどが必要になる。このような船を開発できる造船所は少なく、日本が誇る海洋資源調査船「白嶺」を建造した三菱重工下関造船所はその一つだ。しかし、その建造プロジェクトは簡単ではなかった。通常では考えられない短い期間に世界でもトップクラスの調査船を完成させた裏にはいかなるドラマがあったのか、チームを牽引した工作と営業の担当者に話を聞いてみた。

 「海底資源」という言葉を聞いたことがあるだろうか。海の底にはエネルギーや金属材料となる多くの資源が眠っているが、開発が難しいこともあって、石油や天然ガスを除けば積極的に活用しようという動きはなかった。しかし、ここにきて状況は大きく変わってきている。レアメタルのような貴重な資源は海底でも探すべきだし、銅やマンガンなどの一般的な金属についても陸上で産出量が減っていけば新たな産地を求めるしかない。
 幸い、日本は世界第6位の排他的経済水域(EEZ)をもつ海洋大国だ。それだけに、海底におけるより詳細な資源探査が必要になる。
「2012年1月に竣工した『白嶺』は世界でもトップクラスの海洋資源調査船として海底熱水鉱床の採掘試験に成功するなど、多くの実績をあげています。私たちのつくった船が日本の資源開発に役立っているのですから、この仕事を誇りに思いますね」
 そう語るのは白嶺の建造統括を担当した竹田祐幸だ。学生時代は主にソフトウエアについて学び、「これからはコンピューターの時代。三菱重工のような多様な製品をつくっている会社なら、この分野でもいろいろな仕事ができるはず」と入社した。時代は1980年代半ば、まだパソコンもない時代だけに先見の明があったわけだが、下関造船所に配属されてから続けてきたのは、船の電気設備全般の工作の取りまとめ業務だ。
「要するにハードウエアの据付・調整ですから、最初は自分に合っていないのではないかと悩んだこともありました。しかし仕事を続けているうちに、船によっては複雑なシステムを必要とするものがあると知ったのです」
 そのきっかけになったのが、1989年に竣工した学術研究船「白鳳丸」の開発プロジェクトだった。
「東京大学海洋研究所(現、大気海洋研究所)からの依頼を受けて建造した船で、私は海底探査用のソナーや、さまざまな調査機器を支えるウインチ用のシステム調整をやらせてもらいました。一般的な輸送船とは全く違う装置だけに、『こんなハイテクな船もあるんだ!』と驚き、この仕事に全力を注ごうと思うようになったのです」

世界最高レベルの調査船を短期間で完成する!

 「竹田さん、ちょっと厳しい案件が来るかもしれないのですが…」。2009年のある日、同じ下関造船所で営業を担当する竹内智也が少し困った顔で相談してきた。2人は、共に多くのプロジェクトを成功させてきた盟友でもある。竹田が「どうした?」と尋ねると、竹内は思い切ったように話し出した。
「JOGMEC(独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構)で新しい調査船を建造する話があります。日本は今後、本気で海底資源の探査をしていく方針ですから、いろいろ新しい機能を搭載することになりますが、その点はあまり心配していません。しかし問題が一つ…」
 竹田はじっと表情を抑えて竹内の言葉を待った。
「問題は建造期間です。『国家プロジェクトとして早期に完成させ、調査を開始する』との大方針が示されたため、2年間で全て完成させなければいけないのです」

 そのときの気持ちを竹田はこう語った。
「JOGMECは日本の資源開発を担う機関ですから、当然、求められるスペックは高くなります。つまり、難しい船を通常より短期間でつくらなければいけないのです。しかも設計・工作の両方で高い技術が求められるわけです」
 条件の厳しさもあって、入札に応じたのは三菱重工だけだった。つまり、それだけ困難なプロジェクトだったというわけだ。竹内も言う。
「私は横浜製作所で環境装置、本社で橋梁の営業を経験してから下関造船所に移ってきましたが、以来10年近く船舶の営業を担当していますから、調査船など特殊な船の開発がいかに大変か、よく分かっています。船内に設置される機器の数や種類が、一般的な船と比べて圧倒的に多いし、建造の工程も複雑です」
 しかし、開発が難しい製品だからこそ、営業にとってもやりがいがある。
「エンジニアの負担を少しでも減らすためには、プロジェクトの進行に必要な業務をこちらで完璧に行うだけでなく、常に先を読んでフォローしていくぐらいの気持ちが大事でしょう。そう、これはまさにチーム一丸となっての総力戦になると腹をくくったのです」

海外の調達先との厳しい交渉も建造の一環

 後に「白嶺」と名付けられる調査船の建造プロジェクトが始まった。
「詳細設計が始まると、搭載される機器一つ一つについてさまざまな確認事項があり、最初のころは毎週のようにJOGMECの事務所に通いましたね。しかし、ここで細かくスペックを詰めておくことで、その後の修正作業を減らすことにつながります」
 と竹内は語る。さらに、竹内には別の闘いも始まった。
「設計が決まれば、それに合わせて契約内容も細かく修正しなければなりませんし、引渡し後の運用が見えてくれば、誰がどのような形で運用・補修をしていくのかを詰めていかなければなりません。何かあった場合の責任の所在とか、事業を円滑に進めるためのルールづくりは私たち営業の仕事です」
 通常の船舶に比べれば調達しなければならない機器の数は何倍にも上る。その一つ一つについて仕様を確定させ、契約書を交わしていかなければならないのだから作業は膨大だ。
 竹内はその胸の内を語る。
「入社して最初に下水処理プラントの営業を担当していたときは、事務処理や社内調整が多かったのですが、橋梁営業に異動したころには新しい工法の提案までできるようになり、徐々に営業の面白さを感じるようになってきました。そして白嶺のプロジェクトでは、予算とスペック、短納期といった予想以上の厳しい条件をクリアするために、今までとは異なる集中力と機動力が必要とされました。そのように営業として『ものづくり』に関わることで、書類の向こうに製品の姿が見えるようになったら一人前ですね」

 調達する機器の中には海外メーカーのものも多く、それに伴って出張業務も発生する。
「海底を調査する機器の中には、北海油田の開発で多くの経験を積んできたイギリスやノルウェーのメーカーの装置が多くありますが、私たちも普段から付き合いがある会社ではないので、メールや電話のやりとりだけでは性能や納期がきちんと守られるか不安がありました。そこで、現地まで足を運んで工場試験で性能や仕上がり状態を確認する必要があったのです」
 真冬の凍てつく北欧の町に何日も滞在しながら、求める性能が発揮されていると確認できるまで試験を行い、必要なら再調整の交渉を行う。大変な仕事だが、工場試験で単体の不具合を全て潰すことは、船上での総合試験を予定通り進め、限られた期間中にプロジェクトを終えるためにしなければいけない努力の一つだ。
「でも、ものは考えようで、下関造船所のような特殊な船をつくることのできる職場にいるおかげで幅広い相手とお付き合いができるのですから、これも新たな仕事と出会えるチャンスなのかもしれませんね。ですから、私が行けないときには、あえて若手を派遣することで経験を積んでもらうようにしました」。そう語る竹田の表情からはプロジェクトへの達成感が感じられる。

波や風があっても同じ場所に留まる船は高度なシステムの塊

 多くの苦労を経て完成した白嶺は、まだ新しい調査船でありながら、すでに多くの成果をあげている。
「日本のような火山国では海底でも熱水が多く放出され、そこに高濃度の貴金属・レアメタルが存在している可能性があります。これを海底熱水鉱床といい、その探査に白嶺が大きな活躍をしました。サンプルの採掘試験に成功したというニュースを聞いたときは、我が子の活躍を知ったようで本当にうれしかったですね」
 竹田が喜ぶ背景には、このような探査活動を確実に行えるように、さまざまな新技術を導入した苦労があったからだ。
「白嶺には海底着座型ボーリングマシンやそれを吊る動揺補償機能付きウインチ、ソナー、船上設置型ボーリングマシンなど、重要な機器がたくさんありますが、最も大切なものの一つは自動船位保持システムでしょう。揺れる海面に浮かびながら海底の掘削を行うには船体が同じ位置からできるだけ動かないようにしなければなりません。白嶺では最新のシステムを導入し、潮流5ノット、最大風速15メートル毎秒、波の高さ3メートルという状況でも船の位置を1〜2メートルの範囲に保てるようになっています」
 もちろんそのためには制御を行う高度なコンピューターシステムだけでなく、反応性の高い電気系の推進システムや最適化された線型など、さまざまな分野の技術が組み合わされることで最高の性能を発揮する。
 そして竹田は笑顔で語る。
「入社したころは自分の専門だったコンピューターの知識を活かすことができず、悶々とした時期もありました(笑)。しかし、同じ仕事を長く続けているうちに、結果的に最先端のシステムを導入する仕事に就いている。人生、どこにどんなチャンスがあるか分からないものですね」
 そんな白嶺との関係は、実は今でも続いている。竹内が言う。
「建造した船が整備のため造船所に戻ってくることはありますが、白嶺の場合はそれに加えて調査機器の載せ替えや新しい機能の追加といった目的のため、年に5~6回は下関に帰ってきます。それらの機器の保管もここでやっているので、もう一つの母港のようなものですね」
 特別なミッションを担っている船ゆえ、入港のたびに他船では経験できないような新たな契約事項が発生し、多くの場合は短い期間に奔走しなければならないのだが、そんな仕事も竹内の楽しみの一つだ。
「やはり自分たちでつくって送り出した船ですからね、ドック入りするときは我が子が帰郷してきたときの親の気持ちになります。そして再び元気づけて送り出す。建造には多くの苦労を伴いましたが、その分、思い入れの強い、かわいい子供なのです」

PERSONAL DATA

竹内 智也
TOMOYA TAKEUCHI

交通・輸送ドメイン
営業総括部
下関営業グループ
主席
1996年入社
商学部商学科卒業

竹田 祐幸
HIROYUKI TAKEDA

交通・輸送ドメイン
船舶・海洋事業部
下関工作部
部長
1984年入社
工学部電気システム工学科卒業