宇宙への旅立ちを見守る移動発射台「ML5」 H3ロケットを支えて離す“からくり”とは
Story1
成功率約98%のH-IIAロケットを四半世紀支えた発射台
組み立てたロケットごと射座へと移動
気象情報や位置情報など、私たちの生活に身近な情報を届ける人工衛星は、ロケットによって宇宙へと送り出される。日本のロケット関連技術は高い信頼性で知られ、なかでも約98%という高い成功率を誇るのがH-IIAロケット。2001年から24年間にわたって運用が続けられ、2025年6月29日に打上げられた50号機をもって退役となった。
H-IIAロケットやその後継機などの大型の液体燃料ロケットを、組立から打上げまで支える地上設備が、移動発射台(Movable Launcher)、通称「ML」だ。三菱重工機械システム(MHI-MS)は、このMLの設計・製造を手掛け、日本の宇宙開発に貢献してきた。
MLはその名前の通り、打上げ時の発射台の役割を担う。打上げの前には、射座に移動し液体水素や液体酸素といった推進薬、電源などを発射台経由でロケットに供給し、最終点検が行われる。それだけではなく、種子島宇宙センターに運び込まれたロケットの1段、2段、衛星フェアリング、及び固体ロケット(SRB)を組み立てる台座としての機能も持つ。ロケットの整備組立棟(VAB)は安全を確保するため、打上げを行う射座との間に約500mの距離を確保しており、ドーリーと呼ばれる専用の大型輸送車両に発射台ごと載せて移動するのだ。
燃料を供給する「へその緒」
日本での移動型ロケット発射台の歴史は、H-IIAロケットの前の世代の基幹ロケットであるH-IIロケットにさかのぼる。H-IIAロケット開発に伴い、発射台ごとロケットを移動させる現在の方式が採用され、「ML1」「ML3」が整備された。さらに、宇宙ステーション補給機(HTV)の打上げを主目的にH-IIAロケットの能力を向上させたH-IIBロケットに対応して、「ML3」を改修し運用された。
MLシリーズの構造は、大きく2つに分けられる。ロケットを支える台座となる本体は、幅22m、奥行25.5m。燃料などを供給するマストは、高さ約66mで避雷針の役割も担い、アンビリカルマストという通称も持つ。アンビリカルとは「へその緒」の意味。ロケット発射直前までロケットと発射台はアンビリカルホースでつながっており、打上げと同時に切り離される。このロケットを形づくられる瞬間から旅立ちまで見守り続けるMLは、H-IIAロケットやH-IIBロケットにとって母親のような役割を果たしてきたと言える。
Story2
H3ロケットのミッションに対応した新型発射台の開発へ
国際競争力の強化を目指す
次世代の大型基幹ロケットの計画が始動したのは2014年。宇宙航空研究開発機構(JAXA)と三菱重工が主体となって、「H3ロケット」の開発が進められた。ロケット本体の概念設計などを経て、2016年からMHI-MSも本格的に新しいMLの詳細設計に着手した。
基幹ロケットの新規開発はH-IIロケット以来、約30年ぶり。その大きな目的は、日本のロケット打上げ事業の国際競争力の強化にあった。H-IIA/Bロケットは信頼性では評価の高いロケットだったが、海外では民間の事業者が台頭するなど、コスト面での競争は激しくなる一方。人工衛星を打上げたい顧客からの受注を拡大するためには、打上げ準備期間の短縮や費用の低減などによって競争力を高めることが要求された。
H3ロケットに対応した新型MLにも、これまで積み上げてきた信頼性や運用技術を基本にしながら、打上げや維持にかかるコスト低減を実現することが求められた。開発の基本方針は、「運用性・保全性の向上」。全体システムをシンプルな設計とし、低コストと高い信頼性を両立しながら、最大で年6回の打上げに対応した高い運用性を維持することを目指した。
写真左がML3、右は当時組立中だったML5
25年ぶりの新規開発による技術伝承
一方でH3ロケットの開発は、日本が将来にわたって宇宙への輸送手段を持ち続けることができるように、技術力や産業力を維持するという使命も持っていた。MHI-MSにとっても、ロケット打上げを支える技術を次世代へと伝承していくことを意味する。
新しいMLの設計に参加した当時20代半ばだったG.Sは「MLの新規開発はML1から25年経っており、当時のメンバーはほとんど残っていませんでした。ML3の設計担当者がプロジェクトマネージャーとなり、お客様(JAXAや三菱重工)と協議しながら開発を進めていきました。一つ一つのプロセスを厳しい視点で確認しながら進め、私自身も非常に鍛えられました。お客様が本当に求めているものかは何かを考え、それを元に図面を書いて計算する大切さを学べたのです」と振り返る。
Story3
ロケットが突き破るのは、天井ではなく発射台
既存設備の活用がもたらす課題
完成したH3ロケット用の移動発射台「ML5」の見た目やサイズは、前の世代のML3とほぼ変わらない。外観で変わったことが確認できるのは、マストの部分。上部の形状が角柱から円柱となり、2つのマストを結ぶオーバーブリッジも廃止した。これは、風洞試験やシミュレーションなどを行った結果であり、マストに当たった風がロケットの機体に与える影響を小さく抑える形状へと最適化された。
サイズに大きな変更がないのは、種子島宇宙センターで実績や信頼性を持つ既存の施設を活用することに起因する。H-IIA/Bロケットで使用されてきたVABや射座は、最低限の改修でそのまま利用するため、ML5はVABに収納できる大きさでなければならない。
既存の設備を活かす方針は、ML5の設計に一つの課題を与えることになった。ロケットはVABの中で立てた状態で組み立てられるが、H3ロケットの全長は最大で約63mあり、H-IIA/Bロケットより6~10mも高い。これまでのように高さ約7mあるML本体デッキの上に載せると、VABの天井を突き破ってしまう。
その課題は、ロケットの機体がMLのデッキを貫通する形で配置することで解決した。従来のMLには打上げ時のエンジンの噴流が流れる開口部があり、その開口部を拡大したのだ。これによりロケットの組み立てはこれまで通り、VABの中で完結できるようになった。
発射固定台の上面
左が従来(H-IIA/B)の発射台、右がH3の発射台。上面の開口部を大型化し、台の上面には設備が露出しないように改良した。
シンプルな構造でコストと信頼性を両立
ML本体デッキの開口部の拡大による効果は、それだけではない。噴流が開口部からあふれることで発生する音が小さくなり、ロケットや衛星の搭載機器に音波が与える影響を低減させることができることにつながった。
さらに、エンジンの噴流によってMLが受ける熱の損傷を軽減できた。打上げ後に損傷した部分を補修するための作業が減り、打上げ間隔を短くすることにも貢献している。
また、噴流から生じる音の低減に伴い、デッキ上部に水を流して水蒸気で音を抑える機構も簡素化された。「水配管をMLのデッキ上に設ける必要はなく、従来下部デッキに設置していた煙道に注水する設備も射座側に移しました。発射台の構造が複雑になればなるほど、複雑になったパーツが音を生み出しますし、熱損傷を受ける部分も大きくなります。どれだけ構造をシンプルにするかは、ML5の大きなテーマでした」と、G.Sは説明する。
ロケットがデッキを貫通することにより、従来のロケットの機体をML本体の上面で支える方法ではなく、新たに開口部の側面に4つの発射固定台を設けるという、非常にシンプルな支持方式が採用された。
ここで求められる要件は大きく2つ。1つは、打上げ時に発射固定台とロケットが干渉して、ロケットの動作に影響を与えたり、ML側の熱損傷が大きくなったりしないこと。もう1つは、信頼性の観点として、発射固定台の動作に電気を用いることを極力避けることだ。
Story4
「ロケットをどのように安定させるのか」への回答
退避する仕掛けに用いたのは古典力学
「発射固定台には軸があって、テコのように回転する仕組みです。ロケットのエンジンが点火されてその荷重が抜けると、クルッと回転してMLの中に退避して、上蓋が閉まるという機構になっています」
打上げに向けたML5の改修に対応してきたO.Mが説明するように、ロケットを支えていた発射固定台はMLの開口部の側面に格納でき、上昇するロケットにぶつからず、自身もエンジンの噴流から守ることができるようになっている。
発射固定台が退避する機構には、電気やセンサーなどの使用は避けなければならない。そこで用いられているのは、古典的な力学に基づく、からくり仕掛けとも呼べるシンプルな動きだった。
ただし、退避にかかる時間は、非常にシビアな条件が求められた。発射固定台の自重は約10トンとなり、回転しきった際の衝撃を抑えるために油圧式のダンパーを内部に設置した。また、回転する軸受は二重になっており、一方の軸受が回転しないという不測の事態にも対応することで、システムの冗長性を確保している。
「発射固定台の回転には高い再現性や精度が求められ、毎回の打上げで同じ動作ができるかという試験を何十回も繰り返しました。設計者が工場へ出向き、計算と一致するかを確認するのは難しかったところです」とG.Sは話す。
新形態のロケットに対応する新たな機構
ロケットを支えるための最後の大きな課題が、H3ロケットのバリエーションへの対応だ。従来のH-IIA/Bロケットには液体ロケットエンジンのほかに、2基もしくは4基のSRBがロケット本体を取り囲むように配置されていた。これに対しH3ロケットでは、多様な打上げニーズに対応して、SRBのない液体ロケットエンジン3基の最小のH3-30S形態での運用も予定されている。
SRBは、ロケットが不安定な状態で浮かび上がるのを防ぐ重しの役割も果たしていた。「30S形態では機体自体が軽くなりますから、3基のエンジンが点火してから十分な推力が得られる発射の直前まで、上方向から抑えていなければなりません」とO.M。そこでML5に採用されたのが、発射固定台に追加する「ホールドダウンシステム」だ。
このシステムは、回転する発射固定台で下から支え、上からもホールドダウンで挟み込む構造。3基の液体ロケットエンジンの推力が十分になった時点でホールドダウンを解除することで、ロケットが打上がる。既に実装済みで、これまでのH3ロケットの打上げの瞬間には使われていないが、ML5の移動時や平常時にホールドダウンをかけた状態にすることで、ロケットの安定性の向上に寄与している。
JAXA H3ロケット開発状況及びH3ロケット6号機(30形態試験機)1段実機型タンクステージ燃焼試験(CFT)に関する記者説明会用資料より引用
Story5
宇宙から広がる技術、宇宙へと広がる技術
他の分野でも活きるMLのノウハウ
H3ロケットの打上げは、2024年度で5号機までの打ち上げが完了した。これまでの機体は、全てが2つのSRBを用いたH3-22S形態。ML5の次のステップは、H3-30S形態でのホールドダウンシステムでの本格的な運用となる。さらに、新型宇宙ステーション補給機(HTV-X)を打上げる大型のフェアリング対応のH3-24形態への対応も進められている。(取材当時)
宇宙に関わる技術は、他の分野にも派生しやすいと言われている。G.Sは「当社では従来の製品群の壁を取り払って、ある製品で培った知識やノウハウを、他の分野でも活用することに取り組んでいます。MLのような大型の鉄鋼構造物は例が少なく、得られたノウハウも間違いなく活きるのではないでしょうか。品質管理に関する高い要求水準についても、今後は他の製品分野に求められていくと思っています」と語る。
宇宙への夢を終わらせないために
そして、MHI-MSが持つ多様な製品技術は、宇宙産業の分野でも現在進行形で活用されている。MHI-MSは種子島宇宙センターの老朽化したタンクや配管などの更新も請け負っており、船用製品で培った圧力容器の設計・製造の技術を生かし、O.Mが担当している。
「お客様がMHI-MSに求めているのは技術力。安心して任せていただけるような仕事をしなければならないと意識しています。地上設備の仕事で得られた信頼を積み重ねて、将来的には宇宙空間でも使えるような製品技術にも携わっていきたいと個人的には思っています」
日本から打上げるロケットでの有人宇宙飛行や、ロケットの再利用など、宇宙への夢は尽きることがない。それを夢で終わらせないためには、さまざまな技術やイノベーションが必要となる。彼らのような若いエンジニアが受け継いで進化させるMHI-MSの技術は、宇宙への道へと続いていくはずだ。