History 環境装置製品のこれまでの歩み

昭和33年(1958年)、⽇本が戦後復興を終え経済成長に向かう中で、事業の歴史は始まりました。そして⾼度経済成⻑の中の環境インフラを⽀え、そのリーディングカンパニーとして、⽇本の発展とともに進化してきたのです。また省エネ、環境問題に直⾯した⽇本社会の要請に、幾多の新製品・新技術を⽣み出し、まさに社会に役⽴つ事業として育ってきました。その技術は海を越え、中国や東南アジアの国々にも⼤きな貢献を果たしてきました。その後、循環型社会への進化に呼応し、3R(Reduce, Reuse, Recycle)の実現による社会貢献をめざし、事業の歴史を積み重ねてきました。

1958-1964

環境装置製品の誕生

昭和30年代(1955年~1964年)、⽇本の経済成⻑とともに増⼤する都市部の⼈⼝に対応するし尿処理施設やごみ処理施設の拡充と近代化が急務となる中、ディーゼル機関、蒸気タービン、産業⽤ボイラなど数多くの産業機械製品を取り扱っていた三菱日本重工業(株)(現:三菱重工業(株))横浜造船所の関係部門が昭和33年(1958年)頃から「し尿処理」に、ボイラ部門が昭和37年(1962年)から「ごみ焼却炉」に積極的に取り組み始めた。 昭和34年(1959年)に神奈川県逗⼦市に納⼊した、し尿汚泥脱⽔機をはじめとして、昭和38年(1963年)に埼⽟県蓮⽥市⽩岡町衛⽣組合向けにし尿処理装置の初号機を、昭和39年(1964年)には神奈川県相模原市向けにごみ焼却炉の初号機を完成させ、環境装置製品の⽣産が始まった。

し尿処理装置の初号機(埼玉県蓮田市)
ごみ焼却施設の初号機(神奈川県相模原市)

1964-1974

環境装置事業の本格化

大型炉を導入したごみ焼却施設(神奈川県川崎市)

昭和40年代(1965年~1974年)、ごみ処理や廃棄物処理の関係法令が整備され、ごみ処理施設及びし尿処理施設の需要拡⼤が期待された。
大都市部の人口増加に伴うごみ量の急増に対応するため大型炉の開発に取り組み、また、全国的にごみ焼却炉が増えたことによって焼却前処理用粗大ごみ破砕機や不燃ごみ・スクラップ破砕機の需要が生まれる中、海外メーカーと技術提携を結び、昭和47 年(1972年)に日本最大級の300t/5h処理の回転式粗大ごみ破砕プラントを完成。
さらに、日本の石油化学工業の発展とともに工場廃棄物の処理が問題となり、これに応えてロータリキルン型ガス化燃焼炉を開発し、多くの工業系企業や工場へと展開していった。

1974-1983

省エネルギー時代

ごみ焼却施設の余熱を利用した温水プール

オイルショックの影響で省エネルギー時代となり、省エネルギー・ごみの資源化利⽤が叫ばれるようになる⼀⽅で、⾼度経済成⻑と都市化の進行に伴って各種公害が問題となり、昭和52年(1977年)にはごみ処理施設の排ガス中のHCℓ(塩化⽔素)規制が始まった。
この頃ごみ焼却炉の排熱は有効なエネルギー資源として注目され、各電力会社もごみ処理施設の余剰電力を買い上げる方向に進み始め、余熱を利用した温水プールなどの施設も全国的に広まった。
昭和51年(1976年)に完成した東京都葛西清掃工場は当時ごみ処理施設で最大規模の1万2000kwの発電設備を備え、他社に先駆けて開発した自動燃焼性装置の採用により安定した電力を得ることが可能になった。これにより日本で初めて電力会社と高単価の売買契約を結び、ごみ資源化時代の代表例として国内外より絶大な評価を得た。
増⼤するごみ焼却炉のアフターサービスを充実させるため、昭和51年(1976年)に重⼯環境サービス(株)(現:三菱重⼯環境・化学エンジニアリング(株))を設⽴。昭和58年(1983年)には重環オペレーション(株)を設⽴し、運転管理事業に本格的に取り組むことになった。

1983-1991

海外工事へ進出

省エネルギー型流動炉の初号機(埼玉県荒川右岸終末処理場)

昭和59年(1984年)になると、公共投資抑制によりごみ処理施設やし尿処理施設計画への国の予算が⼤幅に削られる⼀⽅、海外への積極的な営業活動を⾏い、中国や東南アジア向けに相次いでごみ焼却発電施設などの輸出⼯事を受注した。
その頃国内では、排ガスへの規制要求がますます厳しくなる中、ばいじん、HCℓ、NOx(窒素酸化物)およびSOx(硫⻩酸化物)など有害ガスを同時処理する総合排ガス処理装置を開発。昭和62年(1987年)に埼⽟県岩槻市に初号機を納⼊し、国内外の注目を集めた。
また、下⽔道の普及によって増⼤する汚泥を焼却するため、各⾃治体で下⽔汚泥焼却施設の整備が推進される中、焼却排熱を汚泥の乾燥に有効利⽤する省エネルギー型流動炉を開発。初号機を昭和59年(1984年)に埼⽟県荒川右岸終末処理場へ納⼊した。

1991-2001

資源循環型社会志向と事業拡大

黒鉛電極プラズマ式灰溶融炉

バブル経済崩壊が社会に深刻な影を落とす中、平成3年(1991年)に再⽣資源利⽤促進法が公布され、リサイクルの概念が法律に登場。さらに平成12年に制定された循環型社会形成推進基本法により、廃棄物の処理において【1】発⽣抑制、【2】再利⽤、【3】再⽣利⽤、【4】熱回収、【5】適正処分と優先順位が初めて法定された。これにより従来の⼤量ごみ焼却から社会環境への負担が小さい持続可能な資源循環型社会構築に向かうこととなった。
し尿処理分野では、平成8年(1996年)から資源化設備を付加した施設(汚泥再⽣処理センター)のみ国庫補助⾦交付対象となったことを受け、平成9年(1997年)に(財)廃棄物研究財団との共同研究で汚泥と⽣ごみを混同したメタン発酵装置の実証テストを実施。平成10年(1998年)には商品化し、奈良県⽣駒市をはじめとした汚泥再⽣処理センターを納⼊した。
ごみ処理分野では、ごみ焼却灰の埋⽴地確保の難しさから焼却灰の減容化が求められる中、平成4年(1992年)に⿊鉛電極式プラズマ炉の試験炉を設置し本格的に灰溶融の研究を進め、平成12年(2000年)に灰溶融初号機を納⼊後も業界最多となる実績を積み重ねていった。
⼀⽅、平成5年(1993年)からはダイオキシンの抑制、⾼効率発電、直接灰溶融、排ガス量低減、鉄・アルミおよび溶融スラグのリサイクルが要件とされる次世代ごみ焼却炉(後のガス化溶融炉)の開発がスタートした。
また、平成10年(1998年)頃からはダイオキシン類対策特別措置法対応のため、100プラント以上の既設プラントの改造⼯事を⾏った。

2001-2009

官需から民需への事業転換・新分野への取り組み

ガス化溶融炉初号機(北海道釧路市)

平成13年〜14年(2001年~2002年)頃に家電、⾷品、建設、⾃動⾞等のリサイクル法が公布され、循環型社会構築を目指して実践の段階に⼊っていった。
し尿処理技術を他分野へ応⽤する新規事業開拓の中で家畜排泄物の処理や⾷品廃棄物のリサイクル事業を進め、畜産糞尿と⾷品加⼯廃棄物から堆肥化事業およびメタンガス化による発電事業をおこなう施設を平成16年(2004年)に「(株)バイオマスパワーしずくいし」より受注、平成18年(2006年)に完成した。
汚泥処理分野では、これまで焼却し、灰を廃棄処分 していた下⽔汚泥をバイオマス資源として⾒直し、⽯炭⽕⼒ボイラ燃料として使⽤する汚泥炭化炉設備の初号機を平成19年(2007年)に東京都東部汚泥処理プラントに納⼊した。
ごみ処理分野では、平成17年(2005年)に宮崎県向けに初のO&M(運転および保守)共同事業運営契約(他4社と共同運営)をし、⺠営化の先駆けとなった。
平成18年(2006年)には釧路広域連合受けにガス化溶融炉初号機を竣工し、SPC(特別目的会社)によって運営管理することになった。
平成19年(2007年)には初のPFI(Private Finance Initiative)ごみ焼却炉を島根県益⽥地区広域クリーンセンター向けに完成した。
その後、平成20年(2008年)に環境装置の新規建設事業を三菱重⼯環境エンジニアリング株式会社(旧:重⼯環境サービス株式会社)に分割承継。
平成21年(2009年)に三菱重⼯環境・化学エンジニアリング株式会社に商号変更し、新規建設からアフターサービスまで一貫して⾏う体制となった。