
アジア経済のハブを目指すシンガポール政府は、外国企業の投資を促すために、大胆な優遇措置やインセンティブを実施している。
その政策は産業のインフラに関しても例外ではない。
南西部沖合の7つの島を埋め立て一つの島にした面積約32k㎡の人工島、ジュロン島がそれだ。
この島には世界でもトップクラスの石油化学企業の新鋭プラントが、あたかもプラント・エンジニアリングの技術水準を競うように集積されている。
中でも年間130万トンという処理規模で群を抜いているのが、世界有数のオイルメジャーが操業する世界最大のポリエチレン・プラントだ。
三菱重工はこのプラントの設計・機器の調達・プラントの建設を一括して遂行した。
徹底した合理主義にもとづくオイルメジャーならではのハイレベルの要求に、三菱重工はいかに応え、強固な信頼関係を構築していったのか。
プロジェクトの現場で奮闘した二人が証言してくれる。
「“枯れた”技術分野なので、差別化がむずかしい。おそらくお客様にはわれわれが提供する設計・調達・建設といった役務の品質が評価されたのだと思います」
旧世代の半導体価格がそうであるように、技術的に成熟した分野ではしばしば、価格競争が起こる。しかし、この案件ではそれはなかった。
「低価格に強みを持つ中国や韓国のライバルは、クオリフィケーション(適格性評価/指定された要件を満たす能力の有無を検討する評価)を通過できませんでした。コストはかかっても、品質の良いプラントを造ったほうが、長い目で見れば安上がり、そのような判断をお客様はされたのでしょう。石油化学プラントのライフサイクルは長いですから」
「受注活動の中で、お客様は進捗・生産性・安全性・コスト・品質の5つの点を非常に重視しておられることに気づきました。しかもそれぞれの点で、要求レベルがとても高い。このプロジェクトを受注できたら、三菱重工にとっては、世界の超一流企業に評価されたということだけに留まらず、社内の人間にとっても得難い経験ができると考え、身の引き締まる思いをしたことを覚えています」
オイルメジャーとの契約は2007年8月(鍬入れ式にはシンガポール政府の首相も出席)、4年後の2011年5月に引渡し。世界最大のポリエチレン・プラントの建設は長く険しい道のりだったが、井利直哉の言う「得難い経験」も多く、栗岡卓と井利の両名にとっても、プラント・エンジニアリングに携わる者として、一つの成長の節目となるプロジェクトだった。
わが国のものづくりを支えてきた要素の一つは、組織内のメンバーがコツやカンといった「暗黙知」を受け継いでいく組織風土や組織文化だった。ところがこのプロジェクトで、クライアントが要求したことは、プロジェクトの全域にわたって、あらゆるジョブ遂行プロセスの「見える化」であり、明文化であった。
「契約したコスト、スケジュール、品質を守るための、仕様や設計の変更はどんなプロジェクトでも必ず必要となります。しかし、このプロジェクトでは変更に際して、その理由、方法、手順、効果などを必ず文書にして提出することが求められました。戸惑いは、正直言ってありました」
プラントは、さまざまな要素技術とサブシステムから成る複合体である。また、建設に従事するワーカーの国籍も多様である。労働災害防止に向けたレクチャーをしばしば開催したが、多いときには6カ国語の通訳を立てたという。同様にクライアント側のメンバーの国籍も17カ国に及んだ。そんな状況のもとでの要求であった。
「業務が非常に煩雑になることは否めません。お客様との契約交渉を含む事務方全般の責任者であるビジネス・マネージャーの立場としては、非常につらいものがありました」
同様の試練は栗岡にも訪れた。試練は「現場の施工に用いる図面は全て3DのCADモデルから抽出したものでなければならない」というクライアントの要求から始まった。
「目的はプラントを構成する建屋、装置、機器、配管などを全て3DのCADで表示して、操業時の操作性、メンテナンスの際の作業性などを、設計段階でお客様とともに検討し、承認をいただくことです。その手順を踏んだ後に、3DCADのモデルから、現場で使用する施工図面を作ります。従来のプロジェクトでも3Dのモデリングを行ってはいたのですが、3Dモデルから作成する施工図面の対象並びに、モデルの詳細度は限定的でした」
プラントの夜間照明や、タンク、配管、反応塔などから成る構造美を鑑賞することが流行している。「工場萌え」と呼ばれる現象だ。実際石油化学プラントの見所は、縦横に走るさまざまなサイズのパイプとバルブが生み出す空間である。限られた空間を効率よく利用するために設計は精緻をきわめるが、その結果、図面では接触しないはずのパイプ同士が、設置してみると接触していたり、図面では十分確保したはずの作業スペースが、工事を終えてみると消滅していたりすることがよく起こる。するとやり直しのため、時間のロスとコストの増大が避けられず、さらにはプラントそれ自体のクオリティにも疑問符がついてしまう。
「お客様はこうした事態を事前に回避するために、詳細な3Dモデルによる徹底的な設計検証を採用したのです。また、同時に工事の進捗状況を3Dモデル内構成物の色分け表示によって示すなど、工事の管理に必要な情報の『見える化』の推進も要請されました」
要請に応えた結果、従来のポリエチレン・プラントに比べ、設計に要した時間は約3倍に達したという。さて、栗岡と井利の両名が取り組んだのは、ともに負荷のきわめて高い課題の解決だった。二人はそれをどのように受け止めたのだろうか。
「日々のやりとりの中で、反論であれ、提案であれ、その根拠が明らかで、リーズナブルなものであれば、真剣に検討してくださるお客様であることは分かっていました。ですから設計・施工の変更時に要求された文書の提出というハードルも、ロジカルにプロジェクトを遂行する方法論を学ぶいい機会だと考えたのです」
「お客様に対して、私たちが行った3DCADによる設計レビューの会が設定されていたのですが、通常のプロジェクトなら、1年余りの設計期間内で3回ほどなのですが、今回は10回以上行いました。先ほど申しました、作業性や操作性の点で、お客様は妥協を決して許さなかったからです。“Good”とか“Acceptable”とは、なかなかおっしゃっていただけませんでした。中でもお客様の会社の経営陣の方に、このプロジェクトをプレゼンテーションするためのアニメーションを3DCADで、短期間に作ってほしいという要望には、本当に苦労しました。でもそれに対して“Great!”という言葉がいただけたときは、うれしかっただけではなく、鍛えられたな、という実感が湧いてきました」
空間設計マネージャーである栗岡に対する、操業後の作業性や操作性の向上についての要求を「人にやさしい」プラントの実現に向けてのものと解釈すると、それは少し違う。
「お客様の狙いはその先にあるのです。作業がしやすく人に優しいプラントは、たとえばワーカーが腰を痛めることなどもなく、稼働率も高くなるわけです。それはプラントの効率的な運用につながり、収益性も高まると考えておられるのでしょう」
同じようなことに井利も気づいていた。
「プラント建設の現場には、多様な国籍と言語を用い、多彩なバックグラウンドを持った人々が集まります。そこでどのようにベクトルを揃え、いかに目的意識を共有するかが重要な問題となります。ジョブ遂行プロセスの『見える化』や明文化も、狙いは仲間意識の向上ではなく、むしろ効率の向上と無駄の排除にあったと思います」
クライアントのポリシーは、高い顧客価値と株主満足。要はこの言葉の具現化に結びつかない提案や方針に、彼らはいっさい妥協しないのである。オイルメジャーたるゆえんである。しかし栗岡も井利も感じていたように、それは彼らが効率の向上を最優先課題とする非情なビジネスマンであることを意味しない。以下のエピソードが、そのことを証明している。
「四半期に一度、三菱重工とオイルメジャーとの顔合わせである、スポンサー・ミーティングと称する会合が現場で開催されます。そこには私どもの事業本部長とお客様の副社長が出席します。副社長は現場にいらっしゃると必ずサイトの中を歩きます。あるときその副社長が突然地面から何かを拾って、当社の事業本部長に渡しました。渡したのは1本の釘でした。彼の行為は『われわれは、地面の1本の釘でさえ気にしている。それはワーカーに怪我をさせたくないからだ』ということを、このプロジェクトに参加している全ての人間に対し、無言のうちに語りかけていたのです。われわれはこういうお客様と共にプロジェクトを遂行しているのだと、その場にいられたことの幸運を痛感せずにはいられませんでした」
栗岡にも「オイルメジャーと言えども、温かい血の通った人間集団なのだ」と、感動した記憶がある。
「前に3DCADによる設計のレビューで苦労した話をしましたが、最後の10回目のレビューが終わったとき、会議室に集まった皆さんの間から、期せずして拍手が沸き起こりました。3DCADでの空間設計と、それにもとづく図面の作成は、このプロジェクトで私がもっとも努力を惜しまなかった仕事でしたから、そのことを評価していただけて、エンジニア冥利に尽きると、胸が熱くなりました」
メカニカル・コンプリーション(機器単体ベースで仕様通り、図面どおりに製作、組み立ておよび据付けができているかどうかを非運転状態で点検すること)終了。これをもって世界最大級のポリエチレン・プラントは、オイルメジャーに引渡されることになる。2011年5月に、記念式典の最後を飾ったイベントがあった。
「お客様に負けず劣らず三菱重工は、『安全』の二文字を大切にしています。このプロジェクトでは特にそのことを強く意識し、科学的な安全管理の実施に注力しました。その結果、きわめて低水準の労働災害率を達成することができたのです。そこで私たちは“大願成就”を祝うことにしました」
祝賀の儀式は、現場のオフィスにプロジェクトの開始当初から鎮座していた、一抱え以上はある大きなダルマの片方の目に墨を入れて、両目を開眼させる目入れ式であった。
「外国人ワーカーやお客様には、常々これは安全のシンボルだという説明をしていましたから、目入れ式は大いに盛り上がりました」
と、こんなふうにすっかりプラント・エンジニアリングの世界にはまっている井利に、事務系社員がプロジェクトに関わることで味わえる醍醐味を語ってもらった。
「この世界で事務系社員に課せられるミッションは、契約をとってくることが一つ、もう一つはプロジェクトの円滑な遂行を、財務、税務、労務、法務などの面から支援することです。それには世界を股にかけて一流のビジネスパーソンと渡り合うこと、そしてお客様が望むなら地球上のどんな場所であっても、プロジェクトを遂行することが必然となります。このプロジェクトでは、サイトはシンガポール、オイルメジャーの設計担当部門は英国、本社は米国でしたから、日・米・英、そしてシンガポールの4カ国を駆け回りました。ちなみに総事業規模は、約40億米ドル(契約当時の為替レートで約4000億円以上)でした。年齢の割には大きな裁量権を与えられて、大きなフィールドで勝負できるところがいいですね」
このプロジェクトストーリーの最後に、このサイトにアクセスしてくれた学生の皆さんもおそらく興味を抱いていることについて、栗岡の見解を披露してもらおう。テーマは「三菱重工のプロジェクト・マネジメントにおいて、技術系社員が得るスキルとやりがいとは」である。
「三菱重工の各技術分野にはそれこそ名うてのスペシャリストが揃っています。私の仕事は、それらのスペシャルな知見、スキル、能力を取りまとめ、定められたコストとスケジュールのもと、プラントをかたちにしていくことです。非常に多岐にわたる仕事ですから、本来のエンジニアとは異なり、交渉力、コミュニケーション能力といった、ジェネラルなスキルが磨かれるように思います。やりがいは、やはり巨大なプロジェクトの完成に重い責任を負うことと、プロジェクトが完成してその重圧から解放されたときに感じる達成感でしょうか」
「またMHIと仕事をしたい」というオイルメジャーの意向への感想を聞いたところ、二人は異口同音に次のように答えた。
「もちろん、われわれもまた、お客様のハードなリクワイヤメントと格闘してみたいです」
エンジニアリング本部
プロジェクト総括部
プロジェクト部
主席プロジェクト統括
1990年入社
理工学部機械工学科卒業
エンジニアリング本部
化学プラント営業部
石化・石油ガスグループ
主席部員
1995年入社
経済学部経済学科卒業
エネルギーの長期安定供給と環境問題の克服。
人類の叡智を結集した核融合実験炉建設とは。
化学プラントを通して、日本、
そしてカリブ諸国の未来を開く。
サステナブルな社会を実現するために。
世界中から求められる
高品質のターボチャージャ。
人々が求める「心地よい環境」づくりへ向け
ターボ冷凍機が活躍する。
ロケットから宇宙輸送サービス事業へ、
技術だけではない三菱重工の強みがここにある。
日本が主導して開発する「日の丸LNG」を、
技術で支えていきたい。
20年後の日本に向けて製品を送り出す、
戦車事業の責任感と喜び。
日本だからできる性能と品質の高さを武器に、
MRJを世界最高のリージョナル機にしていく。
海に囲まれた日本だからこそ、
高度な海洋資源調査船が必要だ。
三菱重工のプラント・エンジニアリングが、
オイルメジャーから“Great!”と賞賛された理由。
経済の発達とともに拡大する自動車用冷凍ユニットの市場。
新たなグローバルビジネスを作り出す。