
現在、旅客機は450席以上の大型機、250〜300席程度の中型機、100席ぐらいまでの小型機と分けられることが多い。今後、市場が大きく広がっていきそうなのが小型のリージョナル機だ。航空ニーズの多様化により路線の拡張が望まれ、今後20年間で5000機以上の新規需要があると期待されている。しかし、先行するボンバルディア(カナダ)、エンブラエル(ブラジル)に加え、ロシアや中国でも開発の動きがあるだけに競争は熾烈だ。その中にあってMRJはどのような戦いをしているのだろうか。
2014年10月18日、名古屋航空宇宙システム製作所小牧南工場に多くの報道陣が集まった。半世紀ぶりとなる日本の国産旅客機「MRJ(Mitsubishi Regional Jet)」のロールアウト(実機公開)式典が行われたからだ。
新しい門出を祝福するかのように雲一つない晴天に恵まれ、格納庫から外に出された機体は青空の下で美しく輝いた。白いボディに歌舞伎の隈取りを思わせる赤黒金のラインが映える。
「世界最先端の空力設計技術を駆使してつくられた機体はデザイン的にも美しく、海外メディアの記者たちもその点を絶賛していました。しかしそれは、MRJの魅力のほんの一部に過ぎないのです」
そう語るのは、三菱航空機で主翼などの設計を担当してきた本橋秀人だ。
「MRJの最大のセールスポイントは従来の同型ジェット機と比較して20%以上も優れた燃費性能にあります。数字でいうと簡単ですが、この『20%以上』を実現するために、たくさんの新技術が投入されているのです」
その一つが、主翼における外板とストリンガーの一体型生産だ。
「ストリンガーは骨、外板は皮にあたります。通常はこの2つを別々につくり、リベットで留めるのですが、MRJでは一体化することで重量とコストの軽減を目指しました」
部品の点数が減れば機体は軽くなり、燃費の向上につながる。また主翼からの燃料漏れを防ぐ効果もあり、安全性への貢献も大きい。しかしそれは、設計と生産の両方に新たな挑戦を強いることでもあった。
「主翼の外板とストリンガーを一体化したい」との設計の想いに対し、それでも製造部門は「難しい」とは絶対に言わなかった。
製造部門の加藤昭彦は言う。
「MRJは70〜90人乗りのリージョナルジェット機としては後発であり、この分野ですでに実績のある先行メーカーのものより競争力が高くなければ市場に入っていけません。その思いは事業に携わる全ての者が共有していますから、設計が出した結論をしっかり受け止めたかったのです」
一方、設計チームは別の課題にも頭を悩ませていた。本橋が言う。
「MRJの主翼は従来機に比べて細く、長いのが特長です。最先端のシミュレーション技術で空力性能を追求していったところ、この形状が最適だと分かったからなのですが、細長い主翼ほど構造的に弱くなるため、設計も製造も難しくなります」
そこで解決策として導入されたのが、さらに高度なシミュレーション技術だった。
「停止中から飛行中まで翼にかかるさまざまな荷重を計算し、この形状でも充分な強度を保てる構造を考え出したのです」
しかしこの段階では、問題は半分しか解決していない。
「外板とストリンガーの一体型生産は主翼を強くするうえでも有効ですが、一つ一つのパーツが大きくなってしまうため、細長い主翼では荷重によるたわみが生じ、製造上、支障が生じるのです。このままでは、理想の翼も図面上だけの『絵に描いた餅』に終わってしまいます」
そこで再度、登場したのがシミュレーション技術の応用だ。加藤が続ける。
「コンピューター上で変形解析を行い、理想の翼のもつ複雑な曲面を実現化するため、生産のどの段階でどのくらい主翼の形が変わるかシミュレーションすることに成功したのです。その結果、生産性を落とさずに新しいデザインの主翼を生産できるようになりました」
2008年から本格的な開発作業が始まり、ついにロールアウトにまでこぎ着けたMRJ。この間、設計も製造もさまざまな技術課題に挑戦し、克服してきた。その結果、現在、400機を超える受注があり、事業化は着実に成功への道を進んでいるように思える。しかし、現場で指揮をとる加藤は、「まだまだこれからが大変だ」と気を引き締める。
「公開した機体を含め7機を生産し、初飛行を行います。さらにその後も何百何千回ものテストを繰り返し、必要な認可を得なければ商品として売ることはできません」
それまでにより多くの努力が必要なことは本橋も知っている。
「スペック通りの性能を発揮できるかどうかは飛ばしてみないと分からず、その段階で細かい設計変更などもあると思います。ただ、これまでも難しいことへの挑戦ばかりでしたので、どんな仕事がきても対応できるだけの力は付きましたね」
本橋が飛行機に賭ける思いの原点は大学2年のときの経験にある。
「ドイツを旅行したとき、国内移動でフォッカー50という小さな飛行機に乗ったんです。大型機と違って自分が飛んでいることを実感できたし、プロペラ式のターボプロップ機だったから高度も低く、下の景色がよく見えた。それですっかり感動し、僕も飛行機をつくってみたくなりましたね」
三菱重工に入社後はボーイング777や787で構造設計を行ってきた。そしてついに自社開発機であるMRJの担当になる。
「正直、うれしかったですよ。このサイズの飛行機はフライトの楽しさを実感しやすいので、将来MRJに乗って航空工学を目指すような人がでてくれば、こんな喜びはありません」
加藤もMRJへの情熱は負けない。
「子供のころから飛行機好きだったので、三菱重工は絶対に入りたい会社でした」
入社後の配属は、実機に近く幅広い仕事を行いたいと思い、生産部門を希望。希望通り自社開発ヘリコプターの立ち上げ現場艤装スタッフとしてアサインされ、立ち上げ機種ならではの厳しさと喜びを味わった。その後、生産管理部門を経験し、MRJでは、自ら希望して最終工程の現場課長として手を挙げた。MRJは生産品質の高さが競争力に直結すると考えているだけに、自分の役割の重大さを強く認識している。
「どんなにいい設計をしても、製造レベルが低くてはいい製品は生まれません。航空機関係の仕事では海外メーカーとの接点も多いので各国の事情に詳しくなりますが、日本はとにかく人が優れていて、誰もが少しでも質の高い仕事をしようと努力します」
だからこそ生産をマネジメントすることに意欲を燃やす。
「いい人材がいるからこそ、彼らの能力を最大限に引き出すことで製品の品質が上がっていく。傷一つない美しい機体をお披露目できる秘密の一つが、こういうところにもあるのです」
設計の本橋と製造の加藤。同期入社でありながら普段は別の工場で仕事をしているだけに、日頃の接点はあまり多くはないという。それでもお互いの信頼関係は全く揺らがない。本橋が言う。
「社内の人脈の多くは、同期を通して紹介してもらうことで広がっていきます。そういう意味ではこの関係は絶対でしょう。僕らはMRJ事業の成功という共通の目標に向かって走っている仲間ですから、心の中ではいつもお互いを意識しながら仕事をしているのです」
三菱航空機株式会社
構造設計部
艤装設計GGL
グループリーダー
1994年入社
工学研究科航空工学専攻修了
三菱航空機株式会社
試験管理室
飛行整備GGL
課長
1994年入社
工学研究科電子機械工学専攻修了
エネルギーの長期安定供給と環境問題の克服。
人類の叡智を結集した核融合実験炉建設とは。
化学プラントを通して、日本、
そしてカリブ諸国の未来を開く。
サステナブルな社会を実現するために。
世界中から求められる
高品質のターボチャージャ。
人々が求める「心地よい環境」づくりへ向け
ターボ冷凍機が活躍する。
ロケットから宇宙輸送サービス事業へ、
技術だけではない三菱重工の強みがここにある。
日本が主導して開発する「日の丸LNG」を、
技術で支えていきたい。
20年後の日本に向けて製品を送り出す、
戦車事業の責任感と喜び。
日本だからできる性能と品質の高さを武器に、
MRJを世界最高のリージョナル機にしていく。
海に囲まれた日本だからこそ、
高度な海洋資源調査船が必要だ。
三菱重工のプラント・エンジニアリングが、
オイルメジャーから“Great!”と賞賛された理由。
経済の発達とともに拡大する自動車用冷凍ユニットの市場。
新たなグローバルビジネスを作り出す。