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MITSUBISHI Heavy Industries Recruiting Information
MYPAGE

キャリアインタビュー

HIROKO SATO
佐藤裕子

防衛・宇宙ドメイン
航空機・飛昇体事業部
航空機業務部
部長
[1987年入社]
工学部電気工学科卒業

国家の基幹である
安全保障政策に、
深く携わっているという誇り。

技術の追求よりも人と接する仕事に楽しさを感じた

 佐藤裕子が三菱重工に最初に興味をもったのは、幅広い人材を求めていると知ったからだ。
「私は電気工学専攻で、三菱重工は機械メーカーなのに電気系の学生を積極的に募集していました。そこに可能性を感じたのです」
 今ではメカトロニクスという言葉が一般的になり、機械と電気は切っても切れない関係にある。しかし就職活動をしていた1980年代半ばは、機械メーカーと電気メーカーがもっと明確に区別された時代だった。
「入社して配属された名古屋航空機製作所で戦闘機の担当になったとき、これは電気部品の塊なんだとすぐに分かり、電気系の学生を募集していた理由がわかりました」
 当時、F-4戦闘機の改修が進んでいた。古い機体に新しいアビオニクス(航空機用電子機器)を搭載することにより、時代に合った性能のものに生まれ変わらせようという大胆な試みだ。
「私はインターフェース設計を担当していましたが、改修にあたっては通信装置やレーダーなどのアビオニクスをほとんど入れ替えることになっていて、とにかく幅広い知識が必要なことに驚きました。そのほか社内研究でレーザーについても担当しました。卒論のテーマがレーザーでしたので、自分のやってきたことがこういう分野でも活かせるのだと分かり、うれしかったのを憶えています」
 入社2年目からは防衛庁(現、防衛省)などお客様と直接調整する機会も増えた。
「若いうちからこうした経験を積めたのは幸運でした。もっとも、そのころは防衛庁にも女性職員は少なく、男性社会の中で自分がちゃんとやっていけるのか、いろいろ悩みました」
 経験も少なかったため、提出する書類を間違えたり、言わなくてもいいことを言ってしまったりと、失敗も多かったという。
「上司には迷惑もかけましたが、そうやって苦労していくうちに、私は人と接することが苦手ではないと気づきはじめたのです。実は人見知りなのではないかと思っていただけに(笑)、これは意外な発見で、その後、本社に異動し防衛庁向けの契約関連業務を担当することになったときには、技術を追求するより人を相手にする仕事の方が向いていると確信しました」

防衛関連の仕事は意外とグローバルな一面をもつ

 1998年、航空機・特車事業本部誘導機器・特車部飛昇体グループの主任に昇進した佐藤が担当していたのが弾道ミサイル防衛だった。
「ミサイルは目の役目をするシーカー、飛しょうに欠かせない推進系と操舵装置、そしてそれらをつなぐ誘導制御システムと、多様な技術が集約されたシステム製品です。従って、製品に関する広い知識がなければ契約業務はできません」
 加えて、営業的なセンスも必要になる。
「国産のミサイル事業は、大きさや射程によって概ねメーカーの棲み分けがされているものの、境界領域では競合も生じるわけで、そこでは自社の製品や技術をアピールすることも大切です」
 そしてもう一つ、意外にもこの業務では英語が欠かせなかった。
「発射試験の一部はアメリカで行われるため、さまざまな手続きや立ち合いの仕事もありますし、製造に必要な部品は海外から輸入するものも多いので、海外メーカーとの契約もある。ですから、思った以上に世界が身近な仕事なのです」
 2014年4月、それまでの武器輸出三原則に代わる新たな政府方針として防衛装備移転三原則が閣議決定された。これにより、「仕事としては大変になった」と佐藤は言う。
「制度的に輸出ができるようになったといっても、簡単に実現するわけではありません。輸出に関する知識は当然ですが、日本政府への手続きや海外企業との契約、もちろん社内調整を進めるうえでも専門的な知識が必要になります。ただ国際ビジネスに慣れているというだけでは通用しません」
 それでも、若い人にとってはチャンスが広がると確信している。
「アメリカだけでなくヨーロッパの国とも共同開発が始まるかもしれません。そうなれば今までと全く違う世界が広がっていくわけで、多様な人材が必要ですし、若い人たちが活躍できる場面は多いと思います」

社内でも顧客でも多くの女性が活躍している

 2001年、佐藤は再び名古屋に戻り、2004年には営業部門の課長になる。
「引き続きミサイル関連事業の契約関連業務を担当していましたが、より開発や生産に近い立場で社内の調整を図っていくことになります」
 そして2010年には次長に昇進した。
「課長時代は15人ほどだった部下が50人以上になりました。それに伴い、より広い視野で業務全体をみていかなければなりません」
 今の仕事は「何かあったら謝りにいくのが役目」と笑うが、誰にも気さくに声を掛けることで自然にコミュニケーションを生むなど、「人と接するのが苦手ではない」と感じたことが、ずっと活かされている。
「開発や生産であれ、営業であれ、仕事をするのは人ですからね。みんなが気持ちよく働けるようにするのも上司の務めです」
 部下の中には女性社員も19人おり、彼女たちの将来にも期待している。
「最近は防衛省にも女性職員が増えてきたので、昔と比べて男性だけの世界ではなくなりました」
 女性にも、そして若い人にも、自分の仕事に誇りをもってほしいというのは強い願いである。
「ミサイルというと敬遠されがちですが、安全保障と外交は国家の基幹です。この仕事をすることでの安全保障政策に深く携わっているという誇りもあります。これからは海外との協業も増え、国際的な舞台で日本のために働いていけるでしょう。私自身、今のキャリアは予想していないものでしたが、結果的に責任とやりがいをもてる仕事に就けてよかったと思っています」

CAREER PATH

1987
三菱重工に入社。名古屋航空機製作所電子技術部設計一課に配属され、戦闘機に搭載されるアビオニクスのインターフェースを設計。
1991
航空機・特車事業本部誘導機器部に異動し、弾道ミサイル防衛などに関する防衛庁との契約関連業務を担当。(1998年 主任に昇進)
2000
名古屋誘導推進システム製作所業務部飛昇体業務一課と二課に勤務。ミサイル関連事業に関する防衛庁との契約関連業務を担当。(2004年 課長に昇進)
2010
名古屋誘導推進システム製作所業務部次長に就任。
2015
防衛・宇宙ドメイン 航空機事業部業務部部長に就任。

パーソナルデータ

休日は友人と食事や買いものに行くことが楽しみ。また「仕事柄、いつ緊急の連絡が入るか分からないから」と、海外旅行よりは温泉旅行が多い。名古屋はあらゆるものがコンパクトに揃っているし、車で移動するのも楽なので、生活でも遊びでも不自由はない。